今日は、先週借りたCDをTSUTAYAに返却。
ワゴンセールで3枚1,000でレンタル落ちのCDがあったため、以下を購入。
David Lee Roth「Eat 'Em And Smile」
Eurythmics「Be Yourself Tonight」
Genesis「Invisible Touch」
不思議なのだが、どれもメジャーなアルバムなので、もし、レンタルであれば
借りないだろう。別に借りたいものが沢山ある。
DiskUnionでも買わないだろう。別に買いたいものが沢山ある。
ましてや、インターネットでの購入などあり得ない。
ツタヤのあのワゴンの中では、この3枚であり、それが\1,000であれば安いと
思ったからだと思うが、別な場所、別な形態ではありえないのだろう。
単に、返す手間や所有欲といったことだけでは無いように思う。
そもそも、音楽は空気の振動・波であり、捉えた途端に消え去るもので、所有などありえない。
演奏した途端に作者や演者の手を離れ、その場のものとなる。みんなのものが前提なのだ。
権利やメディアの所有は、気休めに過ぎない。
そんなことはどうでも良いが、前回借りたCDは聴き終わっていない。
マイルス・デイビスとMつながりでMr.Bigの途中まで。
正直、JazzはJazzRockやFusionと呼ばれる一部のもの以外、まるで知識もなく良くわからない。
そもそも、音楽はハート(情)で聴くものであり、頭(理)で聴くもの、理解するものではない
というのが持論ではあるのだが。
ただ、あるジャンルを聴きこむことにより、メンタルモデルのようなものが形成され、
展開されるパターンや構成や奏法や音などが予想(受け入れ)可能なものとなり、
その予想の通りなのか外れるのかで、また、それを楽しむといったことができるのだろう。
Jazzのそれは、できていないということである。
Jazzにもいくつかの分野があると思うのだが、マイルス・デイビスのイン・ア・サイレント・ウェイは、
その当時、最も前衛的(実験的?)だったのではないかと想像される(調べてないので、自分勝手な意見です)。
エレクトリックへの傾倒とは言われているようだが。
まず、変なのがドラムで、一曲目のShhh/Peacefulではハイハットでの16ビート、二曲目のIn A Silent Way/It's AboutThat Time
(おそらく組曲的になっていて前者はドラム無、後者のことだと思うが。ただ、トラックとしては同一)では、リムショットでの
8ビートを、最初から最後まで頑なに刻み続けている。こんなに頑ななのは、あまり聴いたことが無い。時計か?
単語を忘れてしまったが、複数の別なメロディ(場合によっては調も異なる)を組み合わせて全体を仕上げる、ポリトーン・・・・
というやつだろうか。一曲目はそんな感じ、主役不明で、森の中を歩いている感じである。
木々や木漏れ日、わずかにのぞく青空、そよ風、せせらぎ、小鳥のさえずり、泉などが目に入るが、自然は主役を決めていない。
3人のキーボード(ちょっと二人しか聴き取れなかったかも)、ギター、ベースで、それぞれの世界で演奏しているのを、
退いてみると全体が成り立っているような感じ。ペットが入ると特別な存在感を感じてしまうのは、先入観なのだろうか。
まだ、一回しか聴いていないでの感想であるが、やはり、はまると怖そうである。